気が付くと竜彦は、見たことのない場所にいた。
どうやら、小さな寺院の境内らしい。本堂と思しき建物の陰に座っている。何故だか分からないが身体が異様に重く、その場から動けずにいた。視界には、あの慰霊碑の中央の少女みたいな、おかっぱ頭でもんぺ姿の女学生が大勢、寺の境内で思い思いに座っているのが映っていた。
突然、視界に一羽の鳥が入ってきた。その鳥は陽の光で輝くような青空を思うが儘に翔んでいる。
何故か意図していないのにその鳥を目で追っていた。小さな鳥だった。突風が吹いたら何処かにでも飛ばされるのではないかと思われる位の小鳥だった。自分でも何が楽しいのか、その鳥が飛んでいるのをずっと目で追い続けた。
鳥は暫く真上を旋回した後、上空へと翔け昇って行く。尚もそれを目で追っていく。鳥はぐんぐん高度を上げていった。あの青い空に吸い込まれるかのように。高く昇るに連れ、鳥はどんどん小さくなっていった。空の彼方へと飛び去って行くその小さな鳥。つられて鳥の行く先を見上げると、その先に小さな豆のようなものが飛んでいるのが見えた。
「何じゃろ、あれ…」
意図していないのに発した言葉が、自分の声ではなかった。それは女の子の、高く鈴を転がすような綺麗な声だった。竜彦は瞬間、耳がイカレてしまったのかと思った。
隣に居たもんぺ姿の少女もそれを見つけたらしい。立ち上がって空を指した。
「Bじゃ…」
周りのもんぺ姿の少女たちも、それに気付いて騒ぎ始めた。
それは銀色に輝く飛行機だった。三機の巨大な飛行機が秩序だって飛んでいた。超高度で飛んでいたのか注意しないとなかなかそれとは気付きにくいが、竜彦には何とか分かった。ジェット機かと思ったが、それにしては遅い。聞こえてくるその飛行機の爆音も、耳を澄ませる漸く聞こえるくらい微かなものだった。
暫くすると、飛行機は地上に向けて何かを投下した。それはすぐに落下傘に変わった。落下傘はゆらりゆらりと落ちていった。何も言うことが出来ず、ただそれを見つめる竜彦。周囲からはざわめきや、嘲笑が聞こえてくる。一体何が何なのか訳が分からない。意識はちゃんとあるのに、自分が自分の体ではない気がする。そう思った刹那――
ピカッ
視界はいきなり真っ暗になって、再び意識が途切れた。その時彼が感じたのは、目を溶かしてしまう様な強烈な光と、身体全体を抉る様な一瞬の灼熱だった――
再び気が付いた時、竜彦は何故か両手で両目と両耳を覆い、口をぱっくりと開けていた。ざらつく砂の感触が気色悪い。手を外しても、視界は全くの闇に覆われて何も見えてこない。そして、身体中を何かが圧迫しているらしく、とても重たい。何かに縛り付けられたみたいに、全く動ける余地はなさそうだった。何より、重し自身が燃えているみたいにとても熱い。
すると、また意図していないのに身体が勝手にジタバタともがき始めた。最初は何の効果もなさそうだったが、次第に光が見え始め、ついに外へ這い出ることが出来た。どうやら瓦礫の下に埋もれていたらしい。ふらふらと立ち上がって、辺りを見てみると――
瞬間、視界に入った光景に、竜彦は再び我が目を疑った。
さっきまで立っていた神社はもはや無く、辺り全体が瓦礫に覆われた荒野になっていた。至る所で猛火が渦を巻いて火の粉を散らす。そして、さっきまで焼け付く位に燦々と輝いていた太陽は消え失せ、空全体を黒い煙が覆い隠していた。その場を照らすのは、ただ勢いよく燃える業火だけだった。
ふと、視界に赤黒い物体が横たわっているのが見える。一つだけではなかった。そこら中に何十も。全く動かないものもあれば、動くものも――
竜彦は絶叫した――が、口は全く開かず、声は出ない。
それは人間だった。――いや、ついさっきまで人だったものだ。
人間が茹蛸みたいに赤黒くなって死んでいたのだ。
赤いのは、身体中が焼けて皮膚が溶けて赤身が露出したから。中には赤身すらも取れて筋肉や白い骨が見えているものもいる。
そして、黒いのは――身体中が焼き尽くされて、これ以上焼ける所が無く、焦げて炭と化してしまったからだった。
竜彦の目に、黒焦げの死体の側にピンク色の小さな欠片が散らばっているのが映る。
赤々とした血で汚されていたそれは、吹き飛ばされて剥き出しになった内臓だった。
竜彦は意識の中で吐き気を催しそうになる。なのに、身体は全く反応しない。違和感を覚えながらふらふらと歩く。
よくよく見ると、その赤黒い死体には布の切れ端みたいなものが所々にくっ付いている。
それは、もんぺだった。
そう、この赤黒い死体たちは、寺の境内にいたもんぺ姿の少女たちだったのだ・・・
――いや、中にはまだ息が残ってうめき声を上げたり、辛うじて立ち上がる者もいた。その誰もが、周囲に転がっている死体と同じように服を失くし、赤黒く焼け爛れ、美しい黒髪も焼け尽くされて無くなるか、残ったとしてもちりちりに焦げて変わり果てたものになってしまっていた。
何より、それら全ての目が、顔から飛び出てしまっている。
だらりと垂れた眼球。
今なら視神経の束がくっきりと見える。
そして、誰もが両腕を斜め下に向けて力なく差し出していた。
その指の先から襤褸切れの様なものが垂れているのが見える。
溶けた皮膚だった。
さらに、腹から飛び出た内臓を片手で腹に押し込めながら歩いている者もいる。
「う・・・うっ・・・うう」
声にならぬうめき声を上げるそれらは、もはや地獄の化け物と言ってもよかった。
地獄――そう、地獄だった。ここが地獄で無ければ何が地獄というのだろうか。
地獄の業火の中で、『それ』らは――
「熱いよぉー」
「痛いよぉー」
「お父ちゃーん!!」
「お母ちゃーん!!」
「せんせーい!!たすけてぇー!!!」
あらん限りの声で叫びながら、さまよい歩く。
力尽きて倒れながらも、息ある限り最期の瞬間まで、
「おとう・・・ちゃ・・・ん・・・」
「おか・・・あ・・ちゃ・ん・・・たす・・・け・・・」
同じ言葉を繰り返して、死んでゆく者もいた。
皆、生きているのが不思議なくらい瀕死の状態であったが、それでも息のあるものは川のある方へ、とぼとぼと歩いていく。耳を澄ませてみると、
「生きているものは元安川に飛び込めッ!!」
などという絶叫が聞こえてくる。
竜彦もそれに倣って川の方へと歩いていく。
しかし、竜彦は行きたくなかった。
これ以上化け物たちと行動を同じにしたくなかった。
竜彦は間逆の方角へ逃げたがった。
だが、さっきとまるで同じで身体が言うことを聞かない。
まるで自分の意思とは無関係に動いているみたいに。
ただ、間逆に逃げたところで業火が邪魔して逃げることは能わなかっただろうが。業火がすぐ後ろや側面に迫っている今となっては、川方面に逃げるしかなかった。
しかし――
竜彦はごく素朴な疑問に行き当たった。
周りの連中は、身体が焼き尽くされ、皮膚が溶けて氷柱(つらら)みたいになり、目玉が飛び出てるなど、見るも無残な姿になっているのに、自分はどうなんだ、と。
意識してみると、身体は焼け付くような凄まじい痛みが全身に拡がっているし、何より、こうして歩いているのが何よりも辛かったりする。
竜彦は自分の身体の状態が知りたかった。
だが、視線は川のほうを向いたまま、他所を向く気配が無い。
竜彦は苛立った。
しかし、そうこうしている間にも意識が途切れそうになる。
(何してる、早くッ!!)
竜彦は心の中で急かす。
彼は、一刻も早く事実を見たい一身に駆られていた。その結果の恐怖にも駆られながら。
そして、
漸く思いが通じたか、立ち止まり、視界は下のほうに向けられる。
「――!!!」
だらりと垂れた両腕から、溶けた皮膚がぶら下がっていた。
また、腕の皮膚は全て剥がれ落ち、赤黒い血で塗れた赤身を外気に曝け出していた。
さらに、服は全て焼け落ち、胴体は全て黒焦げ。膝からは皮膚も含めて全てもげたのか、白い骨が見えていた。
ただ他と違うのは、目がまともに付いていることだけだった。
竜彦は声の限り叫んだ。
声が自分の口から出るまで何度も、何度も。